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日本ネットレーベル史(抜粋)

日高良祐(首都大学東京助教/メディア文化研究、ポピュラー音楽研究)

本稿は2015年8月に発行されたMaltineBook(株式会社スイッチ・パブリッシング)に掲載された「日本ネットレーベル史」の一部を抜粋し、再編したものです。全文はMaltineBook(pp.120-128)をご参照ください。

この文章は、Maltine Recordsを取り巻く歴史的・地理的なコンテクストについて、広く浅く紹介する目的で書かれた。Maltine Recordsのようにインターネットに深く依存した音楽レーベルは、現在のところ「ネットレーベル」という名前で呼ばれている。それは「MP3などの音楽ファイルを無料で配信するネット上で流通が完結した形態」を指すと、基本的には考えられている。しかし、ネットの流動性の高さを基盤とした文化は、そのシステムや見た目を常に変化させ続ける。そのせいで、「ネットレーベルとはこういうものだ」と説明することは、実はとても難しい。仕方ない、ならばそうした定義の不安定さを逆手に取って、ネットレーベルへと繋がる多種多様なネット文化[1]  を紹介するガイド文を、Maltine Recordsを中心軸に置きながら書くことにしよう。これがこの文章の目的だ。したがって、この文章の射程範囲は、あなたにとって思いのほか広く感じられると思う。時間的にはネット文化の黎明期である1990年代にまで目が向けられ、また空間的には日本だけでなく英語圏でのネットレーベル(以下、差異を示すためにこれらをNETLABELと表記する)についてかなりページが割かれる。その理由は、新しい文化として捉えられているネットレーベルが、そもそも時空間的な広がりによって成立しているということを強調したいからだ。

[1] 周辺文化研究家のばるぼらが、『ネットが生んだカルチャー』の中で日本の「ネット文化」が持つ特定の意味合いと歴史について説明している。彼の『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』と合わせて必読です!

英語圏でのNETLABELの歴史

NETLABELとMOD Scene

ネットレーベルという言葉はいつ頃から使われ始めたのだろうか? 同様の歴史的関心から、英語圏では多くの研究論文が書かれてきた。 [2]  それらによると、この言葉はDemosceneと呼ばれるパソコン・サブカルチャーに出自がある。Demosceneとは、1980年代の北欧・北米で隆盛したプログラミング・サブカルチャーがスタート地点であり、ハッカー気質の若者たちによる「音楽付きリアルタイム描画プログラム」(これがDemoと呼ばれる)の制作と共有が主な活動だ。そのプログラムに音楽を挿入するため、彼らはMOD形式という音楽ファイルを使用してきた。MODの詳細な仕様には触れないが、それはサンプリング・ミュージックを作るのに適したファイル構造を持ち、当時のナローな帯域幅でも流通することが可能な、とても小さなサイズの音楽ファイルだった。DemosceneではMusic Groupと呼ばれる音楽制作ユニットがMODの制作と共有の役割を次第に担うようになり、その活動はDemosceneから半ば自立したシーンを形成した。これがMOD Sceneと呼ばれる音楽ファイル流通の領域である。
MODやDemoのネット上での共有を語るためには、The Hornet Archive が最初に紹介されなければならない。1992年9月に開設されたこのサーバーは、Demosceneに由来する多種多様なデータを集め、1998年9月に閉鎖されるまでの間、MODのシェアにとっての最大拠点として君臨した。次にこの地位を継いだのがScene.orgだ。ここはもともとFive Musiciansという著名なMusic Groupが、自分たちのMODをホストするために1996年から稼働させ始めたサーバーだった。翌年からはDemoscene全体のアーカイブも開始し、The Hornet Archiveが閉鎖した後はその膨大なデータも取り込んだ。ここで注意して欲しいのは、MODの流通を支えてきたこれらのサイトが「アーカイブ」と呼ばれていたことだ。目次として機能するウェブサイトとFTPサイトの組み合わせによるこれらのサーバーは、簡単に言えば「公開ファイル置き場」だった。音源をリリースするブランドである「レーベル」とは、そもそも趣旨が違ったのだ。

[2] 興味がある人はGoogle Scholarに“netlabel”と入れて検索してみるのもいいが、チップミュージック研究者の赤帯が自身のサイト「SID Media Lab」で関連する重要文献をいくつか翻訳しているので、まずそちらをチェックしてみることをオススメする。

Monotonikに見るNETLABELのスタイル

しかし、MOD Sceneの基盤となる大規模アーカイブの形成と並行して、放出する音楽ファイルの選別を意識的に行なうサイトもネット上に現われる。NETLABELの祖先として英語圏で捉えられているのはそれらだ。たとえば、Kosmic Free Music Foundation。彼らは以前からDemosceneで活動してきたMusic Groupの一つだが、1994年からは自作MODのリリース用のウェブサイトを始める。また、1997年から活動を開始したTokyo Dawn Recordsも同様の活動で有名だ。そして、こうしたMODリリースサイトの中では、1996年5月に開設されたMonotonikの名前を外せない。彼らこそがNETLABELというコンセプトの広がりに大きく寄与したのだ。
Monotonikはいくつかのサブレーベルを追加しながら2009年に活動停止するまでリリースを続けてきた。当初はMODのリリースだけを行なってきた彼らだったが、1999年を境にして、リリース音源のファイル形式をMP3へと変えている。これは明確な断絶のタイミングがあるわけではなく、1999年の1月から5月の間にグラデーションのように移り変わった。いずれにせよ、MODのリリースは1999年5月を最後にストップし、以降のMonotonikからのリリースは全てがMP3での配信だ。細かい話に聞こえるかもしれないが、これこそがNETLABELの出現タイミングだと筆者は考えている。つまり、Demosceneのコンテクスト上にあったMOD Sceneから、この新たな音楽配信の形態は用いられるメディア技術の点で離脱したのだ。MP3での配信に切り替わったのと同じタイミングで、数曲がEPとしてまとめられジャケット画像とコメント付きでリリースされる、という形式も固まった。Monotonikだけでなく周辺にいたサイトもこの変化に追随した。 [3]

[3] Camomilleの主宰Vince Fugèreは、MP3シーンについてのウェブマガジン「phlow」のインタビュー「Don’t Take Drugs, Take Camomille!」このあたりの変遷について語っている。曰く、MP3での流通が始まったのとNetlabelという呼び名が使われ始めたのは同じタイミングだったそうだ。

Internet Archive上での【Netlabels】カテゴリの成立

さらに大きな転機が、1996年に設立された世界最大のウェブ・アーカイブサイトであるInternet Archive のサーバー領域を、Monotonik が使い始めたことだ。2003年8月、Internet Archiveの【Audio】カテゴリの下に【Monotonik 】というサブカテゴリが作られ、彼らはInternet Archiveのサーバー上でMP3を公開するようになった。同年中には彼らに加えて、【Kahvi Collective】や【8bitpeoples】などのMP3配信レーベルとしての活動していたサイトも、【Audio】下のサブカテゴリとして登録されていった。サブカテゴリとしてのレーベルは次第に数を増やしたが、2003年10月から【Netlabels】という新しいサブカテゴリの名前の元に、それらは統合されたのである。これ以降、ネット上でMP3配信を無料で行なうサイトを指すコンセプトとして、NETLABELが広く使われるようになったのだ。
加えて、Internet Archiveの利用開始が重要な転機なのは、Creative Commons License [4] の適用がNETLABELの要素として追加されたからだ。Internet Archiveは早い段階からアーカイブ対象にCreative Commons Licenseを適用してきたため、【Netlabels】サブカテゴリにも同じくこのライセンスが使われた。そのため、ここに登録しようとするMP3配信サイトの間では、Creative Commonsでライセンスする慣習が共有されていったのだ。この時点で、英語圏でのNETLABELについての捉え方が固まったのである。つまり、「ネットレーベルとは、Creative Commonsや同様のライセンスによってリリースされた音楽を、オンラインで配信したり宣伝したりするプラットフォームとして定義できる」  [5] という捉え方だ。

[4] Creative Commons Licenseについて詳しくは、公式サイトやドミニク・チェン『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』を参照して欲しい。著作物の作者自身が自らの作品に「つける」ライセンスで、作品の二次利用をやりやすくするための工夫にあふれた著作権使用ルールだ。

[5] ポーランドの研究者Patryk Galuszkaはこのようにネットレーベルを定義し、いくつかの研究論文を発表している。オンラインジャーナルの『First Monday』で読める「Netlabels and democratization of the recording industry」がその集大成。ネットレーベルは真面目な研究の対象としても扱われてきたのです。

Netlabelへの日本からの接続

ここでようやく日本のネット文化の話が始まる。英語圏で成立したNETLABELのコンセプトが、ついに日本のコンテクストと接続されたのである。1990年代の日本では日本語による独特なネット文化が育まれてきたが、1990年代末にはMOD Sceneと関連する活動も一部で行なわれていた。しかし、この流れはそれ以上には拡大しなかった。MOD Sceneを由来とするNETLABELへの日本からの接続は、2005年になるのを待たねばならない。 [6]
2005年、3月には-Nが、5月にはBump Footが、それぞれのウェブサイトを公開すると同時に、Internet Archive内の【Netlabels】カテゴリへ登録しサーバーの利用を始めた。両方のウェブサイトとも英語で表記され、彼らはInternet Archive上に集まっていたNETLABELフリークとのコミュニケーションを図った。最初期の日本のネットレーベルはNETLABELとの接続を明確に意図していて、参加ミュージシャンも日本人に限らずワールドワイドだった。これが日本版ネットレーベルの歴史の実質的なはじまりである。彼らが自らのウェブサイトを作る際にNETLABELの形態を参照したように、そして英語圏とのコミュニケーションに重点を置いていたように、日本のネットレーベルの歴史は、NETLABELのコンテクストへの接続としてスタートしたのだ。

[6]   厳密には、2004年12月の段階でLost Frog Productionsが日本初の利用者としてInternet Archive上にMP3のホストを始めた。だが、彼らの活動の主軸はCDリリースであり、MP3のリリースは宣伝媒体という扱いのため、-NBump Footが活動を開始した2005年をNetlabelとの接続が開始した地点として位置づけたい。

Maltine Recordsとネットレーベルの時代

同じく2005年は、Maltine Recordsが活動を開始した年でもある。しかし、NETLABELとの接続として説明できるここまでの歴史と異なり、Maltineはもう少し独特なコンテクストの上に立っている。NETLABELとの接続を明確に意図していた-NBump Footと比べて、Maltineを中心とする日本語による日本人ユーザーのためのネットレーベルは、英語圏とほぼ断絶したコンテクストに依拠してきた。 [7] 彼ら日本独特のネットレーベルの出現は、NETLABELとの単純な接続ではなく、自律した文化領域の形成と言った方が適切だ。
Maltine設立と同時期にDJ活動を始めたレーベルオーナーtomadにとって、CLUB VIPは重要な場所だった。これは2005年7月に日本語圏最大のオンライン掲示板2ちゃんねる上ににたてられたスレッドがきっかけで、ネットラジオを通してDJ配信するオンラインのクラブだ。また彼は、HARDCORE TAXIというコンピCDを同人音楽イベントM3にて2007年秋と2008年秋に頒布していたり、DJテクノウチが出版した同人誌『読む音楽』でJ-COREについて書いていたりもし、日本の同人音楽文化との強いつながりを持っていた。Maltine設立の背景には、ナードコアテクノや同人音楽、2ちゃんねるといった日本的なネット文化に依拠した人間関係があったのだ。

[7] Netlabelに関する大規模なアンケート調査が2008年にPatryk Galuszkaによって実施され、「Research on Netlabels by Patryk Galuszjka」というファイル名でネット上に公開されている。その時点で日本のネットレーベルは複数が活発に活動していたにもかかわらず、この断絶によってその実態はほぼ把握されていない。というか、3つのネットレーベルしかカウントされていない。

ネットレーベル・ブーム!

Maltine Recordsは社会関係資本としての人間関係を拡張することでリリース数を増やし、ネットレーベルという流通形態が日本で認識されるきっかけを作った。その名を一気に広めた契機は、CLUB VIPではファミコン宇宙人名義で活動していたimoutoidによる2007年10月の《ADEPRESSIVE CANNOT GOTO THECEREMONY》のリリースだ。imoutoidは『Quick Japan』2008年2月号や『STUDIO VOICE』2008年3月号など日本語のカルチャー雑誌で連続して取り上げられ、Maltineの名前は初めてマスメディア上に登場した。またネット発のミュージシャンとして後に成功を収めたtofubeatsも、dj newtownの変名で2008年7月にリリースしている。この時期からネットレーベルという名称は日本語圏でも知られ始めた。ちょうど日本でTwitterが流行し始めたタイミングでもあり、ネットレーベルに関する情報発信・収集はTwitterを主な舞台として展開した。すべての名前を挙げることは到底できないが、Bunkai-Kei records 、Vol.4recordsなど、2009年からのレーベル数の増加には目を見張るものがある。ブームがやってきたのだ。
そして、最初の流行のピークは2011年にあった、と筆者は考えている。それを示すのが、2011年2月に赤身レコーズからリリースされた《Japanese Netlabel Map ver.20110219》 [8] と、2011年6月に開設されたネットレーベル専門ニュースサイトNetlabel.jp [9]だ。日本語圏のネットレーベルをマッピングしたい、という欲望が形になる程度には、そのコンテクストは成立するようになっていたのだ。

[8] ばるぼらが運営していた「音楽以外」をリリースするネットレーベル。活動はストップしているがリリースはまだ見ることができる。日本のネットレーベルのコンテクストを垣間見ることのできるラインナップだ。オススメ。

[9] 面白いのが、netlabel.jpがローンチした直後に、antinetlabel.jp、neonetlabel.jpというサイトも出現したことだ。ネットレーベルの世界をパッケージして提示しようとするnetlabel.jpの姿勢を正面から批判し、そのまとめきれない豊かさを主張した。ちなみにnetlabel.jpは2011年中にあえなく閉鎖。

ネットレーベルとクラブイベント

この流行を支えてきたギミックのもう一つが、それぞれのネットレーベルが主催するクラブイベントであることは間違いない。イベント開催自体がレーベルの宣伝活動であり、参加者による自発的なtweetはその効果を倍増するからだ。Maltine Recordsは2009年2月に初回のクラブイベントを行ない、以降は年に数回の頻度でイベントを開催している。ネットレーベルがクラブイベントを主催する、という宣伝方法の定着は、彼らの成功が主導した。
Maltine主催のイベントと同じく重要なのが、複数のネットレーベルが共同開催するクラブイベントだ。早いものだと2010年3月のNetlabel Warfare、そして2011年3月に開催されたbootoffが挙げられる。そして2011年にピークを迎えたネットレーベルの流行を受けて、2012年末に開催されたのが「大ネットレーベル祭」 [10] だ。このイベントの主催にはMaltine、分解系、鯖缶がクレジットされ、加えてALTEMA RecordsMarginalRec. NoDiscoRecords、Vol.4からもミュージシャンが出演する大規模なフェスだった。
こうした共同開催のイベントやTwitter上での盛んなやり取りによって、日本のネットレーベルは日本独特のネットレーベル像を共有してきた。これはNETLABELとは明らかに異なったコンテクストを作りだし、日本ならではのネット文化の一つとしてそれは定着した。

[10] イベント告知ページのURLがnetlabel.jp(すでに閉鎖していた)だったのが、当時のネットレーベルの関係の強さを感じさせるし、なんともいえない気持ちになった。

ネットレーベルの変容と英語圏からの「発見」

Maltineを中心としたここまでの流れが、日本のネットレーベルの展開を示す歴史である。しかし、この文章のはじめで言及したように、ネットの流動性の高さに依拠した文化はすぐに変化してしまう。ネットレーベルの形式についても2012年以降に様々な変容がみられる。最後に、英語圏との(再)接続という観点から、最近の変化について紹介したい。日本独特の発展をしてきたネットレーベルのコンテクストが、これまでとは異なった経路で英語圏に向けて開かれつつある状況として、その変化を見ることができる。

世界共通のプラットフォーム、SoundCloud、Bandcamp

NETLABELもネットレーベルも、これまで「ファイルのダウンロード」が主流だった。しかし、近年このMP3流通の形態は変化している。そう、SoundCloudBandcampを活用することで、ストリーミングが広く利用され始めたのだ。日本では2010年頃からこれらのサービスを目にする機会が増えた。MaltineがSoundCloudを使い始めたのは2011年4月のリリースが最初で、現在ではウェブサイトのトップページにもSoundCloudのプレーヤーが埋め込まれている。SNSへの埋め込み投稿もしやすいこれらのプラットフォームが使われ始めたことは、日本のネットレーベルにとって少なくない変化を引き起こしている。これまで独特の道筋を辿って発展してきた日本のネットレーベルは、日本人のミュージシャンを日本人に向けて発信する、というスタイルを多くの場合は取ってきた。NETLABELとの接続を念頭に置いていた-NやBump Footはどちらかというと例外だ。日本語圏のネットレーベルの多くは、Internet Archiveなどのプラットフォームを使用してこず、これまで海外からはほとんど捕捉されてこなかったのだ。それに、英語がほぼ共通語となっているWorld Wide Webの世界では、日本語のウェブサイトを辿って音楽を聴くことは簡単ではない。しかし、ここにきて状況が変わってきた。SoundCloudBandcamといった世界共通のプラットフォームは、日本のネットレーベルを世界に開く役割を果たしている。

Maltine Recordsの戦略の変化

Maltineはこの点でも率先して変化してきた。最近のリリースを改めて見てみると、海外からのミュージシャンばかりがリリースされていることに驚くだろう。CLUB VIPなど日本のネット文化と密接な領域からミュージシャンを引っ張ってきていた初期と比べると、Maltineがいかに英語圏のコンテクストに目を向けるようになったのかがわかる。Maltineがリリースした海外発のミュージシャンはすでにかなりの数にのぼっていて、アメリカのXyloid、イギリスのbo enなどは大きな話題となった。中でも2013年2月のMeishi Smileのリリースは、tomadが英語圏へと目を向ける大きなきっかけとなったという。Maltineのリスナーは日本国内にしかいないと彼は思っていたのに、Meishi SmileはMaltineを「日本とアメリカのポップカルチャーを橋渡しする存在」として位置づけ、それを面白がって参加を打診してきた。tomadはそれ以来、日本のポップカルチャーは海外からどのように見られているのか? を強く意識するようになったという。この戦略の変更は、日本のネットレーベルを取り巻く時流の移り変わりにマッチしたのだ。

英語圏からの「発見」

ネットレーベルを日本の外のコンテクストに開こうとする動きは、直接的には英語での批評記事という形で始まった。閉ざされた文化領域として蓄積してきた日本のネットレーベルは、この数年で英語圏から「発見」されつつあるのだ。はじめは『The Japan Times』や『MTV 81』といった、日本のカルチャーに焦点をあてる英語ニュースサイトがネットレーベルを取り上げ始めた。日本のネットレーベルについて書いた最初の英文記事は、おそらく2013年3月の「Not All Imprints Make CDs – Enter the Netlabel」 [11]だと思うが、その記事はMaltineや分解系などの有名レーベルに言及しながら日本のネッ
トレーベルを1つのシーンとして紹介している。そして2014年12月には音楽ニュースサイト『Pitchfork』で「10 Essential Japanese Netlabels」という記事が掲載された。この記事は、日本のネットレーベル文化がこれまでメインストリームや海外シーンとの間にあった壁を乗り越えて広がりつつあるとし、Maltine、分解系、Bump Foot、MarginalRec.、ALTEMA、Trekkie TraxOtherman RecordsAno(t)raksCanata RecordsTanukineiri Recordsの10レーベルを英語圏に向けて紹介した。
さらに、こうした報告や批評の増加だけでなく、日本のネットレーベルや、より広く日本のネット文化の影響を受けたと思われる海外のレーベルまでもが出現しだしている。先のMeishi Smileが運営するレーベルZoom Lensや、2014年4月から活動するネットレーベルMAGIC YUME Recordsがそれだ。これらのサイトは一見して日本のポップカルチャーを思わせるイメージにあふれ、日本人ミュージシャンによるリリースも多く目に付く。これはもはや「発見」を通り越して、「再解釈」といったほうがいいのかもしれない。

[11] 実はこの記事が書かれる過程で筆者も情報提供をした。ぜひぜひ読んでみて欲しい。しかし、内容的に間違っている点も少しある。

日本のネットレーベルの未来へ

最後に紹介した英語圏からの「発見」という状況は、実はけっこう複雑な話だ。なぜなら、まず海外からの眼差しの主体は最近になって突然現われたわけではない。それは、英語圏NETLABELの歴史過程とともに日本の外にずっと存在してきたものだ。また日本の独特なネットレーベルのコンテクストも決して最近の産物というわけではない。それは、1990年代から日本語圏で続くネット文化の中に立ち現れた文化的な集積物だ。現在のネットレーベルを取り巻く状況、とくにそのコンテクストが海外へと拡張していくという局面は、こうした歴史の複雑な交差の結果として目の前に現れている。この複雑さを把握するためには、時空間的な広がりに目を向けてみるしかないのだ。

ネットレーベルが日本で充実した音楽文化を生みだすようになって、2015年で10年がたった。今後のことはもちろんわからないが、おそらく英語圏との接続がますます重要になるだろうと考えている。むしろ、そもそもインターネットの魅力とは、世界中がオンラインで繋がること、ではなかったか? ここにきてようやく、ネットレーベルはそのネットらしさを発揮し始めたといえるのかもしれない。その意味で、もっとも海外に開かれた音楽文化であるネットレーベルこそが、今後の日本の音楽文化を表象していくだろうと、現在の筆者は思っているのだ。

日高良祐/Ryosuke Hidaka

1985年生まれ。首都大学東京システムデザイン学部インダストリアルアートコース助教。専門はメディア文化研究、ポピュラー音楽研究。デジタルメディア技術の受容過程とそれに合わせて生じる文化変容に関心を持ち、主にインターネットを介した音楽流通を対象にした調査を行なっている。

http://ryskhdk.net/

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日本ネットレーベル史(抜粋)

日高良祐/Ryosuke Hidaka
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